クリスチャン洗礼の申込メールを訂正の上抜粋します。
”洗礼に関するご相談
そもそも、救いは主イエスの御名にある信念、要するに私は聖霊をいただいています。 2012年3月ごろ、確かな信念に基づく信仰が備わったような気がしております。主イエスにあって私は常に喜ぶことができるように祈っています。
キリスト教会とのかかわりは、5歳くらいのころ聖霊派のキリスト教会に連れて行かれていたことから始まりました。日曜学校にも参加していたことがありました。しかし、それから躓かされた私の罪に、私の人生の罪深さを思い知らされ続け、教会に所属できないまま、個人的に主イエスに、狭い部屋 で私は祈り続けることしかできませんでした。直接牧師先生に指導を受けず、聖書など信仰を多少理解し、逆に肉的に苦痛に感じたことがあるほどになったのは、インターネットの動画の、キリスト 教会の礼拝や牧師の話を聞いているからです。信仰義認、で私は霊的に救われているはずなのに、この現実の世界にかかわる私自身の罪と、教派は分裂 して”行い”を重んじるキリスト教会という個々ばらばらの多くの集団に矛盾を感じてしまった、というような言い訳をしてきました。それでも”互いに愛し合いなさい”というような説教を聞かされているだけでも私は傷ついて、インターネット上ならともかく、現実のキリスト教会から離れたことが2.3度ありました。
本当に主イエスにあって、クリス チャンとして生きていけるか、”洗礼”を受けた私の親を見て育ってきたので、”洗礼”を受けることがよかったのかどうか、はたから見ていると疑問 に思え、戸惑っていました。もちろん、クリスチャンの躓きとなっていたのが私自身だったので、私にイエスキリストがいなければ、私に救いはないこ とはよくわかりました。
しかし、他人の目からも見える私のイエス・キリスト信仰を証することが必要に思えてきました。会社など、社会と関わると、私自身罪に染まらざるを 得ないうえ、私自身の罪や過失を他人から責められ詰問され、出現してしまうからです。
それでも私は、救いは主イエスにあると祈り続けていると、世間的なクリスチャンであるという証の第一歩を求めるべき、と悔い改めました。
私は毎週日曜日に礼拝するのが困難な、シフト制の勤務をしております。
上記のような私ですが、できればクリスマス前に洗礼を授けていただきたいと主
イエスに祈っています。
もしよろしければ、一度平日で恐縮ですが、ご相談に伺えればと思っております。
よろしくお願いいたします。”ダビデへのナタンによる叱責
キリスト教聖書第2サムエル記12章1〜4節
1 主はナタンをダビデにつかわされたので、彼はダビデの所にきて言った、「ある町にふたりの人があって、ひとりは富み、ひとりは貧しかった。
2 富んでいる人は非常に多くの羊と牛を持っていたが、
3 貧しい人は自分が買った一頭の小さい雌の小羊のほかは何も持っていなかった。彼がそれを育てたので、その小羊は彼および彼の子供たちと共に成長し、彼の食物を食べ、彼のわんから飲み、彼のふところで寝て、彼にとっては娘のようであった。
4 時に、ひとりの旅びとが、その富んでいる人のもとにきたが、自分の羊または牛のうちから一頭を取って、自分の所にきた旅びとのために調理することを惜しみ、その貧しい人の小羊を取って、これを自分の所にきた人のために調理した」。
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