中江藤樹は、同時代の林羅山、吉川惟足、山崎闇斎らが朱子学の枠内でいかに情を抑え、性即理を実現させるべきかを模索していた時、彼らが論理の探求のみに熱中する中、藤樹は自ら儒教の道徳の原点に立ち、徹底した儒教徳目の実践を通じての性即理の実現を目指したが多くの面でその理想追求は挫折することとなった。
はたから見ると藤樹は「近江聖人」として理想的な儒者のイメージを放つのだが、本人としては理想と現実の矛盾のはざまで悩み苦しみ続けていたのだ。
一切の妥協を拒む藤樹には他の朱子学者たちの行動が偽善的であり、立身出世の為だけに朱子学者の立場を利用するものや、ひたすら読書だけに没頭して現実生活の中で徳目を実践しない朱子学者たちと映り、藤樹は彼らを俗儒と呼んで心底軽蔑した。
しかし、他を批判しようともみずからの自己研鑽実践の中での自己矛盾の問題は解決せず、また自分を取り囲む周囲の社会がまったく変わるわけでもなく、朱子学の理気論による「情を抑えて性即理を目指す」という自己抑制的理論そのものへの限界を感じ始めていた。
どうしたら心は他を敬う気持ち、つまり敬と一体になれるのか?
どうしたら心は性、つまり、自分そのものを敬の気持ちでいっぱいにできるのか?
この問に答えるために藤樹は心学、つまり心の学問というものを唱えだしたが、実際には論理で心の作用をコントロールできるものではなく、結局はタイイツシンという古代儒教の神様への信仰へと逃げ込むことになり、日本の伊勢神宮のアマテラスもタイイツシンの眷属のひとつだと主張するようになった。
しかし、この藤樹の陽明学への踏み込みはその後、朱子学を否定する国学の心の爆発、感情の爆発への道を開くこととなったのである。
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