10年ぶりに訪れた山あいの街は、僕の記憶とは少し違った様子ではあったものの前と変わらない寛容さで迎え入れてくれた。街を流れる川、裏の土手にある柿の木、遠くに見える山の稜線とどこまでも真っ直ぐなローカル線。変わったのは新しいスーパーが開店したことぐらいか?
久しぶりに会う親戚一同に従兄弟の近況を聞いた。近々結婚するらしい。夏休み中一緒に遊んでいた彼女が結婚、、、。なんだか複雑な気分である。自分が惨めに見えてきた気がしてそそくさと親戚の輪から外れて、家の間の道路に出た。ツクツクボウシの鳴く声が8月の空を揺らしている。ここはいつだって僕を少年の心に戻してくれる。幾度と夏を過ごした街には至る所にあの頃の記憶の断片が転がっていて、荒んだ心を洗い流す。思えばこの数年は何のために生きているのか考えすぎていて疲れていた。将来のこと、仕事のこと、やりたいこと、やりたく無いこと。「あの頃より随分と生きるのが難しいね。」いとこが今隣にいたらどんな返事をするか、聞いてみたい。
少年にとって夏とは「喪失」と「発見」である。全てが新しく見えたし、飽きなかった。失うことで実感を得た。今は失ったきりになってしまった。これが大人になるということなのだ。
この街にある祖父母の家には幼い頃の僕の写真がまだ貼ってある。虫かごをぶら下げてポーズを取っている僕の写真。その隣には照れ臭そうに笑う従兄弟の写真も並んでいる。この後も何度も写真は撮っていたのだが、祖父母は頑なにこの写真を飾り続けていた。今思えば、次第に遊びに来る回数も減って大人になっていく孫が寂しかったのだろう。もっと会ってあげればよかったと後悔している。この写真がこの街に残った僕の面影の一つなんだろう。
いつの間にか外は通り雨が去って、雲間から夏の日差しが注いでいる。ここ最近ウザかった日の光は失せてしまい、僕を呼んでいるかのようなあの夏の光が差している。戻ってくればいいさ。その度に思い出せるから。取り戻せはしないけど、帰れる。変わらずあるかぎり。
たいして無い荷物をまとめて、2時間に1本しか走ってないローカル線に乗り込んだ。後ろに流れて行く景色の端に祖父母の家も映る。あそこには僕の夏が閉じ込めてある。次に戻ってくる時も変わらないでいてほしい、なんて勝手な願望を持ちながらボックスシートの向かいの席に足を乗せて昼寝の体勢をとった。目的の駅までは約2時間。列車のジョイント音が薄れゆく意識の中で小さくなっていく。
さようなら。そしてまた会おう、僕の夏よ。
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ききないさん
ぱあぷる
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