いっちょあいつに、天下を取らせてやっかぁ!!羽柴秀吉の古くからの忠臣にして参謀:
蜂須賀正勝。通称:
蜂須賀小六。
尾張国の国人豪族である蜂須賀氏の出身。(つまり元々は秀吉より身分は高い)
父:蜂須賀正利の代では斎藤道三に仕えていた為、当初織田家とは敵対関係にあった。
後の主君となる
秀吉との出会い方は確たる資料が存在せず、創作とされる話が以下である。
今川家に仕官しようとしていた秀吉は、東海道一の大橋である矢作橋で野宿をしていた。
そこで、付近を荒らしていた野武士集団が通った際に秀吉の頭を蹴った。
秀吉はこの無礼に抗議をし、度胸に感心した野武士棟梁:蜂須賀小六はこの小男に一目を置いた。(ただし、この頃に矢作橋は存在しないので確実に創作の話である)
その後、小六は斎藤家を抜けて織田家へ入り、秀吉は今川家を抜けて織田家へ入った。
そこで秀吉に大きな才覚を見出していた小六は、
秀吉の立身出世に賭けることを選んだ。
かつての主家であった斎藤家との合戦では
墨俣一夜城完成の監督を行い
墨俣川の戦い、金ヶ崎撤退戦、姉川の戦い、対一向一揆など
秀吉の立身出世の陰には必ず小六が従軍していた。
また、
調略・外交面に関しても才覚があり、対毛利となる中国地方攻略では
日和見状態だった宇喜多直家の協力取り付けを成功させている。
山崎の合戦後の小六の所領地は5万石を超えており、名実ともに大名身分の存在となった。
彼の最後の戦いは、四国長宗我部の討伐戦となる。
この時点で
60手前の老将であったが病を推してでも出陣を敢行。
戦後は秀吉から四国阿波国(約20万石)を褒美として与えられたがこれを辞退。
もう長くないことを悟っていた小六は、最後は秀吉の傍にいることを選び
翌年、秀吉に天下を取らせた功労者は、その生涯を閉じた。長兄の英傑大戦:
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