奥の恐ろしさ、表の者たちに教えてくれよう!明智光秀家臣、斎藤利三の娘:
斎藤福。後に朝廷からの下賜名を
春日局という。
畿内方面軍司令官、明智光秀の重臣の娘として出生したが、福が3歳の時に転換期が訪れる。
本能寺の変において光秀及びその配下であった父:利三が謀反人となり
山崎の戦いにて羽柴秀吉軍に敗退。利三は捕らえられ処刑された。
女性の幼子であった福は助命され、
公卿の下に預けられて各教養を身につけたとされる。
それから22年後、関ヶ原を制した徳川家に参集され、秀忠嫡子である
家光の乳母(養育担当)に任命。
秀忠第二子:徳川忠長が誕生すると、秀忠の正室:江が忠長を溺愛したために
次期将軍が家光とは限らない状況に陥ったため、福は
徳川家康に直談判を決行。
家康は元々
「長幼の序」(如何なる理由があろうとも原則:長男が家督を継ぐと定める)を重視しており
徳川政権崩壊の最大要因である御家騒動を防ぐ為にも、家康の鶴の一声で家光が後継者とされた。
自身と意見が反していた江が死去したことで、将軍の乳母である福に権力が集まるが
徳川幕府存続のための最重要課題:世継ぎ誕生問題が発生してしまう。
それというものの家光が子供を作ろうとしなかったことが原因であり
福を畏怖していたこともあって女性が苦手で
衆道(一言で言うとホモ)に走っていたのである。
そこで福が
「大奥」(将軍世継ぎ誕生を最重要課題とする江戸城の女性専用エリア)を取り仕切り
家光が好みそうな女性を外部から次々とスカウトしたことで第四代将軍:徳川家綱が誕生した。
大奥自体は秀忠の時代から存在するが、大奥制度は福が定めたものであり
明治維新により徳川政権が崩壊するまで200年以上続き
家光を支えた政治の松平信綱、武の柳生宗矩と並び
「鼎の足」の一人に福(春日局)は数えられた。
長兄の英傑大戦:
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