気高き武士よ、今こそ立ち上がる時ぞ!平安中期、土蜘蛛退治、酒呑童子退治の伝説を持つ武将:源頼光。
そしてその源頼光の直系の玄孫にあたる武将が
源頼政である。
頼光が没してから80年ほど時が流れて平安後期に入った頃
宮中に鵺(ぬえ)という妖怪が出現した為、鵺退治を源頼光の直系の玄孫:源頼政が担った。
頼政は源氏家宝の雷上動という弓を用いて鵺を撃ち落とした。
(頼政の鵺退治伝説)源平合戦の前日譚となる保元の乱では後白河天皇側に付き勝利。
続く平治の乱では源氏側の源義朝には従わずに、平清盛側に付いて(※)勝利。
(※頼政は尊王派である為、天皇・上皇に対して貴族を担いで乱を起こした義朝に従う義理が無い)
平氏の世になった状態で、当時としては長寿の75歳になった頼政は源氏が賜った位としては
史上初の従三位へ昇格して源氏初の昇殿を許される身分となった為、
「源三位」の通称を得た。
平清盛の信任を得たことでこの身分にまで登りつめたのだが、問題が発生する。
朝廷(天皇)に仕える身分であるはずの平氏が法皇を幽閉して
完全に朝廷を牛耳り(治承三年の政変)明らかに天皇を軽んずる姿勢を取ったのである。
これに対して頼政は激しく怒った。(ただし、これは反平家となった説の一つである)
(平治の乱では平家に従ったわけではなく。
「天皇に味方する」のが頼政の行動理念に見える)
平家によって得た身分という恩よりも源氏の使命を重く見た頼政は、後白河法皇の第三皇子・以仁王と結託。
平家打倒の令旨を全国の諸勢力に送る計画を実行していたが、これが露見してしまう。
平家の討伐軍を察知した頼政は以仁王と合流して、宇治川にて平家軍と対峙。(宇治川の橋合戦)
平家物語での兵力記述では源頼政1000に対して平家軍28000。
戦力差30倍近くでは戦にならず、頼政は以仁王の脱出を最優先として奮戦するも追い詰められ自刃。
以仁王も軍勢に追いつかれて討ち取られる結果となった。
しかし、この事件を発端にして日本各地での反平家諸勢力の武力蜂起が開始され
後の世で「源平合戦」と呼ばれる内乱が発生し、
頼政の平家打倒の檄を発端にして平家は滅ぶこととなった。長兄の英傑大戦:
mylist/73130055