都市巡礼 #3
解説:
https://note.com/ukiyojingu/m/md67e7f3dc739 田園都市構想以降に設計される計画的な都市の姿は、中心部を基本とした徹底的なコントロールを前提にして設計されてきた。パリの新市街設計にコルジュビエが提案した都市設計がそうであったように、それらは都市の不確定な姿を棄却すると同時に、まさにシステマチックな形で動き続けるような都市の近代性を前面的に肯定する潜勢力で満ち溢れていたように見える。それからおよそ100年が経過し、かつてシステマチックなものとして構成された私たちの都市に対する夢は人間性の凋落として批判され、一つの大きなシステムによる社会のコントロールとは真逆のベクトルを向く運動が「多様性」という名の元で展開されてきた。モダニズム思想から遠く離れ、その代わりに台頭するポストモダニズムが私たちに与えた影響は計り知れないだろう。
それでは、中心部から同心円状に展開されるような都市設計が非人間的と批判された時代を経て、私たちはある種の人間性に溢れた無秩序の時代を謳歌できているのだろうか。1990年代に世界的インフラストラクチャーになったインターネットの台頭は、私たちを真の意味で自由で多様性あふれる世界に導いてはくれなかった。誰しもがエレクトロニクスの首輪を課せられ、首から垂れ下がるIDタグによってコントロールされる様相は、かつてモダニズムが提唱したような理想的な都市の姿を非視覚的な形で実現している。インターネットプロトコルが定めたルールにのっとってしか言語を送受信できない今日の私たちは、その埒外にいる「エンコードできない言葉」を無視している。そうやって、どこかでそぎ落とされた言葉の亡霊たちは、エンコードまま世界の外側で亡霊となって彷徨う。その疎外は、突然にも実行されている。
こうした時代にて、言葉の亡霊を私たちが発見することはいかにして可能だろうか。エンコードされないそれらに目を向けることに失敗する私たちは、いつしか亡霊そのものの存在を見失い、コード化される言葉の全てが伝わるべき内容かと錯覚してしまう。140字すら読めることが出来なくなるこの時代、ここに記した文章がどこまで読まれるかさえ、定かではない。ネットワーク上で送信される言葉の背後を這いずり回る亡霊を見ずして、私たちは一体何をどのようにして、誰に送信できるだろうか。
デジタル空間がこれほどまでに深化した現代社会において、強力な中心を持つ都市から私たちは逃げることはできない。それでもなお、降りることが許されないとしても、亡霊を探す作業の価値は否定されることはない。言葉の亡霊を見ること。誰かの言葉に「 」をつけること。その作業が今、問われている。
ukiyojingu作品集『都市巡礼』2025.12.30 release
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