都市巡礼 #6
解説:
https://note.com/ukiyojingu/m/md67e7f3dc739某日、平和島を南北に貫く高速道路を横断する高速道路沿いから、広島から引き連れた一眼レフを携え、夕方から夜遅くまで平和島の海岸線にいた。
度重なる増設と改造を積み重ねたここは、もともと海だった。図書館で見た海沿いの品川駅に汽車が到着する光景はとうの昔だが、そんな海沿いの景色がかつてあったことを思い返すと、度重なる増設と改造による人工島の光景は、人間——あるいはその複合体としての都市が、幾重にも折り重なった光景として立ち現れている。それはまるで、集合的な人格としての都市が自我を徐々に形成することにより、かつて剝き出しのままであった無意識たる「海」に覆いを被せる如く。その過程で抑圧された「海」の痕跡を探し出すことで、私は抑圧されたものではない、本当の姿としての誰かを求めている。それはすなわち、これまでの見方で誰か/何かを見る方法を取るのではなく、新しい方法で誰か/何かを探すことである。あるいは、誰かを新たな「 」に入れ込むための手法を探すこと、と形容してもよいかもしれない。自我による抑圧を受けるものと受けないものの境界線に人工島の海辺があるとするなら、この沿岸都市沿いには、圧殺された過去が水死体の如く浮かんでいるはずだ。その声の痕跡へ目を向けることは、意義があるように思う。
だが、言葉は常に表象されたものであるからこそ、それは常に抑圧を受けてきたものとしてしか解釈されえず、ここから先に進むためにはある種の狂気さを私は受け入れざるを得ない。都市の景観は言葉にされえず、全ての言葉は美しく/あるいは醜く表象された瞬間、たちまち死に至るのだから。そうやって失敗を積み重ねた末に出来上がる瓦礫の山がやがて地層となり、この人工島の基底と化しているのであれば、その失敗を積み重ね続ける私たちは、果たしてそれでいいのだろうか。コミュニケーションの地滑りにより他者が殺されるこの時代において言葉が無力であることは言うまでもないが、だからこそ、この言葉は別の仕方で表象されていく可能性を求めなければならないのではないか。
この音楽は2つの初期作と『言語交錯』の間に作られ、そしてこの映像は一眼カメラを手に入れた2022年の冬から撮影したものがほぼ全てを占めている。もう5年は昔のものとなってしまった私の記憶を、私は新しいピアノと新しい映像を使い、新しい言葉で表象する。この行為は、かつての海沿いの景色を忘れた平和島にどこか被るかもしれない。それでもなお、新たな差異が込められたこの新編集版という反復行為を、私は決して無意味とは思わない。言葉が無力だとしても、だからこそ、言葉を発信し続けたく思うのだ。
ukiyojingu作品集『都市巡礼』2025.12.30 release
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