道を間違えて、なんか水路から這って入城してますが、これは非正規すぎる入城方法です。おすすめしません。
栃木県教育委員会 とちぎふるさと学習ページから
小山城趾(祇園城)(おやまじょうし)(国史跡)は、現在は城山公園(しろやまこうえん)として市民に親しまれており、空堀や土塁のあとが残されています。
小山城(祇園城)の築城については、その年代や築城者は明らかではありませんが、藤原秀郷(ふじわらのひでさと)の子孫、大田政光(おおたまさみつ)が、1148年に小山氏を名のり、この城を築いたのが始まりであると言われています。
小山氏は、源平合戦(げんぺいかっせん)、南北朝の戦乱で武将として名をあげ、領地を拡大しました。
南北朝時代(なんぼくちょうじだい)末期には21代の義政(よしまさ)が、鎌倉公方(かまくらくぼう)足利氏満(あしかがうじみつ)の制止を無視して、宇都宮城主基綱(もとつな)を討ち取ったのが原因で小山義政の乱(1380~1382年)が起きました。
敗れた義政は自害し、小山氏直系は滅びましたが、のちに同族の結城基光(ゆうきもとみつ)の次男泰朝(やすとも)が入城して小山氏を再興し、以後、小山氏代々の本城となりました。
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