Wikipediaより
東京都及び調布市教育委員会は発掘調査を重ねており、築城者は不明だが、15世紀には「ふるき郭」が築かれていたようだ。 16世紀に入って北条氏は相模に進出し、扇谷上杉氏は南武蔵の防衛ラインとして「ふるき郭」を活用している。大永4年(1524年)1月、江戸城を北条氏綱に攻略された扇谷上杉朝興は、巻き返しを図るため、居城の河越城から頻繁に南武蔵に出撃。享禄3年(1530年)6月、朝興は深大寺城に、北条氏康は多摩川対岸の小沢城に陣を敷き、小沢原で合戦になった。この深大寺城は「ふるき郭」と思われる。扇谷上杉方としては、北条勢を多摩川で食い止め、かつ江戸城奪還を図るため、天文6年(1537年)4月、13歳で父・朝興の跡を継いだ上杉朝定は難波田弾正広宗に命じて深大寺城を増築した。しかしながら、同年7月、氏綱は深大寺城を迂回して河越城を直接攻め、朝定が松山城に敗走したため、深大寺城の軍事的価値が失われた。その後、この地が北条氏の支配となったが、深大寺城の記録が見当たらないので、廃城になったようである。
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