wikipediaページより
山の高さは海抜132メートル、周囲との比高は100メートル程度と、それほど大きな山ではなく、城郭全体の面積もそれほど多くない。しかし、山自体が急斜面かつ、効果的な曲輪の配置が施されたことで、堅固な中世城郭となっていた。石垣はなく、多くの土塁が曲輪の周囲を取り囲み、掘割も設けられていた。非常に実践的で、乱世ならではの城と云える。また、先述の通り急斜面の山であるために通路以外からよじ登ることはまことに困難である。南側の大手門から東側の段丘面に武家屋敷があった。北側は搦手であるが、同時に高天神社の参拝道でもある。
現在では曲輪の構造や、土塁・掘割をうかがい知ることができる。現在は、地元の掛川市(合併以前の大東町)が史跡としてよく整備しており、登山は比較的容易となっている。太平洋戦争前の時期に模擬天守が建造されたこともあった(戦国時代に天守が建造されたことはない)が落雷で焼失した。現在はコンクリートの土台のみが残っている。
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