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私は何も知らなかったんです。
もちろん、中途半端な地方都市から出てきて、周りの人とは感覚が違うことはわかっていましたから、いちいち驚かないようにしていました。
でも本当は何もかもが新鮮で毎日が怖かったんです。
ICカードが駅以外でも使えることなんてしらなかったし、コンビニでチャージできるなんてことも知りませんでした。
ガスの開栓には業者の人の立ち合いが必要で、その保険金で一万円が必要なんてことも知りませんでした。
電車で片道三十分以上かけて通勤することが普通なことも知りませんでしたし、朝はみんな機嫌が悪くて簡単に舌打ちしてしまうこととか、優しさを忘れることとか、自分がそういった人の一部になることも知りませんでした。
夜の二十四時を過ぎても夜道を人が歩いていて、ひとりになれる時間がないなんてこともしりませんでした。
同い年くらいの人たちが遊びの帰りに談笑しながら歩いていく様と、残業終わりに交通費が出なくなった帰路を徒歩で帰る自分を比べて、あんな人生があったのかなとか思ってなんだか惨めな気持ちになるなんて知りませんでした。
街にはいろんな人たちがいて、路上で寝る人や、善意で人を騙そうとする人、宗教の勧誘ってやつが日常に溶けているとは知りませんでした。
それでも地元のどんな建物よりも高いんじゃないかと思うほどの高層ビルが三つも建っているさまは圧巻でしたし、そこに夕日がのぞき込む景色は都会的で、1K六畳家賃六万五千円の六階からそれを見るたびに胸が高まりました。
徒歩二分で行けるコンビニはいつだって冷えたビールを用意して待ってくれているし、深夜二時でも会いに行けるのでした。
少なくとも周りにいる人たちは親切でなんでも教えてくれて、難しい距離間の気遣いが得意で、都会特有の暖かさを感じました。
今となってはICカードが使える場所は探さなくても目に入るし、コンビニのチャージ機能は日常の一部になりました。
高層ビルの夕日も、仕事終わりのビールも、感動の使いどころではないと思うようになりました。
それでも新鮮で怖いことが減ることはなくて、少しずつ街の一部に溶け込んでいくのでした。
そうして、その過程で、知らなかった自分自身の輪郭が、少しずつ、はっきりしていくのを感じるのでした。