Wikipediaより
元和5年(1619年)、徳川家康の十男である徳川頼宣は紀州藩主になると、南海道の総鎮護として東照大権現を祀る東照社の建立を計画し、同年のうちに社殿が起工されると、元和7年(1621年)に完成した。
本殿には左甚五郎の作といわれている彫刻や、狩野探幽作の壁画があり豪華な造りである。関西の日光とも称された。『紀伊続風土記』によれば、境内は方八町で、宮山周囲50町余りであった。
別当寺として天台宗の天曜寺も建立され、天海大僧正が初代別当に就任している。
祭神は当初は東照大権現のみであったが、後に徳川頼宣も合祀されている。
明治時代になると神仏分離と廃仏毀釈により天曜寺は廃寺となったが、東照宮は県社に列せられている。
東照宮の例祭は、元和8年(1622年)に趣向を凝らした絢爛豪華な風流(ふりゅう)の祭りとして創始されているが、江戸時代には、国中第一の大祭であり諸国から多数の見物人がきたという。明治以降も和歌祭と呼ばれて大勢の観衆を集め、親しまれた。近年復興されている。
当社を含めて一帯が国指定史跡・名勝の和歌浦となっている。
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