幅21.6メートル、奥行14.6メートル、高さ5.4メートル 軍用機を空襲から守るための施設で、1944年の8月頃から建造が始まりました。 この掩体壕は、前方部と後方部で造り方が異なります。前半部は型枠にコンクリートを流し込んでおり、後半部は土盛りにコンクリートを流して造っています。 市内には11か所の掩体壕が残っており、入口の向きがすべて異なります。これは、防弾効果を上げるためにあえて変えたのではないかと言われています。 また、カモフラージュするために、掩体壕の上には土が盛られて草を生やしています。しかし、米軍の撮影した当時の航空写真には掩体壕がはっきり写っており、その効果はあまりありませんでした。 戦後50年にあたる1995年に平和のシンボルとして宇佐市の史跡に指定され(1995年3月28日指定)、公園として整備されました。 掩体壕内部には、国東沖で引き揚げられたゼロ戦のエンジンが展示されています。 公園内には、宇佐から出撃した154人の特攻隊員の名前を記した石碑や東大寺別当が文字を書いた鎮魂碑、米国から贈られた友好のハナミズキなどが設置されています。 毎年8月15日には鎮魂碑の前で、「平和のともしび」が開催されています。
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