都市巡礼 #8
解説:
https://note.com/ukiyojingu/m/md67e7f3dc739巡礼を続ける私は都市から疎外され、機械がもたらす鉄の砂漠の上で常に孤独に晒されている。それでもなお、意義を見出されなかったものたちが形成する瓦礫の海より「 」を問う価値は何か。
今日も日が昇ること、そして明日も日が昇ること。それ自体は自然現象に過ぎないが、私たちはそこに意味を見出して生きようとする。しかし、その日常が何らかの要因で失われたとき、人間は思考の起点を見失う。機械が駆動し、大規模な芸術化が進行するこの都市の現在は、まさにそうした状態ではなかろうか。システム化されたこの都市において、一体日々のどれだけに特異的な価値を見出せるのだろう。日付や数字はあるが、実感としての区別は曖昧である。原因のひとつは、生活のサイクルが機械化されすぎている点ににあろうか。機械は同じ動作を寸分違わず繰り返すからだ。人間のような曖昧さや余白が、そこにはない。その中で暮らすことで、人間側の感覚もまた、徐々に平坦になっていく。
私たちは便利さのために機械を受け入れてきたが、同時に感覚や言語の繊細さを置き去りにしてきたのではないか。情報が最適化され、感情が数値化される社会において、「人間らしさ」とは何を意味するのか。この問いに明確な答えを持っている人は少ない。だからこそ、私は考え続けるしかない。日常の中に埋もれた問いを拾い上げながら。
私はこの機械を、或いは鉄の砂漠を外から眺めようとする。それは私を孤独にするだろうが、それでもなお、機械が言語を侵食し「 」を崩壊させる現象への逃走線となる思考回路へと、それがなりうると信じている。それは効率的でも、即時的でもないかもしれない。けれど、人間の営みには、そうした非効率な営みが不可欠だ。そしてその営みこそが、人間と機械との境界線を保つために必要なのだと考えている。都市の生活は続き、私はその一部として機能しながらも、完全には同化できない。それは唯一無二の言葉によるのではないか。マクルーハンを引用するまでもなく、言葉は、記憶であり、意思であり、そして人と人をつなぐ媒体である。機械に飲み込まれることなく、人間であり続けるための最後の手段なのかもしれない。
誤配される誰かの言葉は瓦礫と化して、死に至る鉄の砂漠に積みあがる。その瓦礫たちはきっと、私たちそのものであり、きっとエンコードされない「 」を見つけるためのツールだ。私たちは積みあがるそこから見いだされるものを、求めている。
ukiyojingu作品集『都市巡礼』2025.12.30 release
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