都市巡礼 #10<br><br>解説:<a href="https://note.com/ukiyojingu/m/md67e7f3dc739" target="_blank" rel="noopener nofollow">https://note.com/ukiyojingu/m/md67e7f3dc739</a><br><br>私たちの言葉はどこまで行っても誰かの手によって誤配され、その結果生み出された瓦礫を水面下で蓄積し続ける。蓄積された瓦礫たちは時間と共に風化し、まるで砂漠のような光景を都市の地層に形成してゆくだろう。こんな時代に、私たちは私たちの言葉を維持するため、誤配を受け入れてもなお、精確に送信するための弛まぬ努力が必要ではないか。弛まぬ努力と、そのうえでもなお展開される複雑な誤配の力場こそが、この都市を駆動させる原動力であるのだから。<br><br>こうして駆動する都市の原動力は「情報」と称するものに近いだろう。ハイデガーがそうであったように、ネオサイバネティクスの趨勢を一起点とした情報概念への生物学的解釈論は、今日においても絶えない。通信機械における情報の通信工学的、ないしは無機的な解釈を生物にまで援用することを批判し、生物特有の意味生成から人間=機械の関係を批判する文脈では、生物が内的に生成する情報は他者に対して永遠に正しく伝達されることはなく、言葉という記号によって須らく解釈のずれを内包するものとして生成される。ソシュールを引くまでもなく、私たちの言葉は須らく誰かにより誤配されるということはもはや自明だろう。<br><br>しかしながら、そんな「ずれ」を能動的に捉え、実体化することが仮に可能なのだとしたら。そんな誰かと異なるように想定される自分自身の「ずれ」を表象する行為を、芸術と呼ぶことができるのであれば、情報と美学はここで密かな関係を作り出すことができよう。言葉を解釈する危険性に常に意識を向けつつもなお、言葉の誤配から可能性を生成すること——それが決して過剰な感性的姿勢へとならぬよう、細心の注意を向けながら。そうして、サイバネティクスの展開する無機的都市と、そのうえで展開される過剰に感性化された私たちの様相≒芸術的都市の、いずれにも付置しない場所を求めている。この探究はすなわち、誰にも関与されないという意味でも孤独化≒生物なき「砂漠」と、感性的なあまりに過剰に接続され続ける情報の「海」との中間項という意味での、「海辺」の思想である。<br><br>都市を芸術化させる創造的都市の思想による、主体の過剰な感性化に伴う芸術的都市への抵抗線としての、沿岸都市の方法。それは誤配から生成されるそぎ落とされたもの言葉にされないもの、いわば「 」への追求ではなかろうか。言葉を真摯に伝える手段として、意図して言葉を切断すること。或いは切断された言葉の価値を考察すること。そんな切断された言葉を、切断されたサウンドスケープと共に盛り込むこと。こうした可能性を提案し、再び「思考実装」の先へ進む必要がある。<br><br><br />ukiyojingu作品集『都市巡礼』2025.12.30 release<br><a href="https://ukiyojingu.booth.pm/" target="_blank" rel="noopener nofollow">https://ukiyojingu.booth.pm/</a> <br><a href="https://ukiyojingu.bandcamp.com/" target="_blank" rel="noopener nofollow">https://ukiyojingu.bandcamp.com/</a> <br> <br>楽曲に対しての投げ銭はこちら<br><a href="https://paypal.me/ukiyojingu" target="_blank" rel="noopener nofollow">https://paypal.me/ukiyojingu</a><br><br><a href="https://ukiyojingu.com/" target="_blank" rel="noopener nofollow">https://ukiyojingu.com/</a>