非在探求#2<br><br>解説:<a href="https://note.com/ukiyojingu/n/nf886f214db7d?sub_rt=share_pw" target="_blank" rel="noopener nofollow">https://note.com/ukiyojingu/n/nf886f214db7d?sub_rt=share_pw</a><br><br>液晶画面に溢れた私たちの現代都市は、既に身体を深い深海へ沈めつつある。<br>この水没を前に、かつて存在した都市計画から私たちを海辺へ引き上げる方法は、サウンドスケープの実施においてこそ見出されないだろうか。 <br><br>この音楽は既に完結を迎えた『都市巡礼』の思想的側面たるnote記事群の最後に提示された「 」の可能性を、実践として如何にして具現化可能であるかを巡って生成された。昨春に寄稿した『合成音声音楽の世界』における拙論で、筆者はこれまで提示してきた「海辺」の思想に関する実践としての海辺の芸術作品というアナロジーを提案し、その可能性を現代アートに追求するまでを行った。「海辺」とは私たちの生きる都市が過剰なまでに非理性的≒情動的、あるいは美的・感性的なものへと変質している現状に対する逃走線の形成、すなわち過剰な感性化に対する批判を享受しつつも、それらを完全に否定するわけでもないような居場所の形成を目指すものである——それを「海辺」と形容するゆえんは、液晶画面を中心としたデジタルスクリーンがもたらすものが、かねてより「情報の海」と称されてきたことに由来する。<br><br>私たちの都市が既に液晶画面を介して情報の海に沈んでいるとすれば、この都市は既に水没しているだろう。こうした水没都市と称されるものの前で、海辺を希求する作品はいかにして可能か。その可能性こそ、人間性の回帰を歌い続けたサウンドスケープという思想だ。だがしかし、筆者がこれまで提示してきた論考のスクリプト化、そしてそれに基づく自動生成を介入させ生み出されたこの楽曲は、その条件を満たしていないだろう——なぜならそれらは常に、電子的あるいはシステマチックなものを批判してきたからだ。だがしかし、水没都市でもがき苦しむ私たちが海を一切立ち切ることなく、それでもなお海に滞在し続けるためには、二項対立を複合的に孕んだ表現こそが、感性的な私たちをある程度の次元で理性に引き戻す作用を有すると筆者は考える。理性と非理性の複合的中立。アルゴリズムとサウンドスケープの複合体。そしてSF的表現としての「水没都市」と、現実問題のアナロジーとしての「水没都市」。ここに秘められた複合性は、これに留まることはないだろう。<br><br>こうして、筆者は合成音声音楽の裏側に接近することで、過剰なまでに薄くなってしまった私たちの言葉を表現をこの場から回復しようとしているのだ。<br><br>水没都市:<a href="https://x.com/Nickel_ni_plus/status/1963219698008662111" target="_blank" rel="noopener nofollow">https://x.com/Nickel_ni_plus/status/1963219698008662111</a><br><br />ukiyojingu作品集『都市巡礼』2025.12.30 release<br><a href="https://ukiyojingu.booth.pm/" target="_blank" rel="noopener nofollow">https://ukiyojingu.booth.pm/</a> <br><a href="https://ukiyojingu.bandcamp.com/" target="_blank" rel="noopener nofollow">https://ukiyojingu.bandcamp.com/</a> <br> <br>楽曲に対しての投げ銭はこちら<br><a href="https://paypal.me/ukiyojingu" target="_blank" rel="noopener nofollow">https://paypal.me/ukiyojingu</a><br><br><a href="https://ukiyojingu.com/" target="_blank" rel="noopener nofollow">https://ukiyojingu.com/</a>