時は文明開化。あらゆるものが西洋化してゐく中で、風紀を亂す「淫らなもの」は嚴しく規制される時代があつた。江戸時代には蔦屋重參郎によつて浮世繪作品の出版などで榮ゑた遊郭、而して宮澤賢治も多く收集したとされる春畫。これらは、人ゝの欲を素直に描き出す文化として、表と裏の世界に確かに存在してゐた。併し、明治時代以降、天皇の詔勅によつて「淫夢排除令」が下され、公然と「淫らなもの」を享受することは許されなくなつた。そのやうな欲を抑壓された世の中で、人ゝの心に寄り添ゐ、祕めたる情念を詩ひ上げる「下種歌」が流行した。奈良時代の「東歌」、平安時代の「神樂歌」に續き、「參大文歌」の壹つとして、大人から童子まで廣く親しまれた。その歌詞は、戀慕や嫉妬、或は社會への不滿をユウモラスに、時に露骨に表現してをり、人ゝの共感を呼んだ。とりわけ、ヲツペケペー節や東雲節とゐつた歌は絶大な人氣を博し、下種歌の隆盛を築き上げた。やがて時代の流れとともにその勢ゐは衰ゑたものの、そのメロデヰーと精神は消ゑることなく、遊び歌として童子たちによつて詩ひ繼がれてゐる。それは、時代が變わつても、人ゝの心に祕められた感情が失われることはなゐとゐふ證なのだらう。<br>(引用 「明治壮観論」著者不明)<br> <br>以下、上記を現代風に置き換えたものを記載<br><br>時は文明開化。あらゆるものが西洋化していく中で、風紀を乱す「淫らなもの」は厳しく規制される時代があった。江戸時代には蔦屋重三郎によって浮世絵作品の出版などで栄えた遊郭、そして宮沢賢治も多く収集したとされる春画。これらは、人々の欲を素直に描き出す文化として、表と裏の世界に確かに存在していた。しかし、明治時代以降、天皇の詔勅によって「淫夢排除令」が下され、公然と「淫らなもの」を享受することは許されなくなった。そのような欲を抑圧された世の中で、人々の心に寄り添い、秘めたる情念を歌い上げる「下種歌」が流行した。奈良時代の「東歌」、平安時代の「神楽歌」に続き、「三大文歌」の一つとして、大人から子供まで広く親しまれた。その歌詞は、恋慕や嫉妬、あるいは社会への不満をユーモラスに、時に露骨に表現しており、人々の共感を呼んだ。とりわけ、オッペケペー節や東雲節といった歌は絶大な人気を博し、下種歌の隆盛を築き上げた。やがて時代の流れとともにその勢いは衰えたものの、そのメロディーと精神は消えることなく、現在でも遊び歌として子供たちによって歌い継がれている。それは、時代が変わっても、人々の心に秘められた感情が失われることはないという証なのだろう。