「私がおかされている病名はガンです。」
死後「行き過ぎた手術」との指摘も。
第1章 誰にも逸見のような思いをさせたくない
カメラに向かってガンを告白したのは3回目の手術が決まった時
93年
最初:1cmの初期の胃がん
とれば大丈夫、と言われた。
セカンドオピニオンを本人は拒否。
9月16日3度目の手術。
逸見は13時間の手術後一度も家に帰ることなく
抗がん剤の副作用に苦しみ、声も出せずじまい12月25日亡くなりました。
毎年の検診を受けていなかったら
一年は普通に仕事できたのでは?
転移もしていて手術不能、静かに終える、
近藤誠先生等の対談
先生の意見が週刊誌に乗った時は打ちのめされました。
弟を32歳の若さで亡くす。
発見されたときは手遅れだったら自分はそうなるまい
老いた両親を悲しませたくない。
每年検診。
近藤「中間ガン」
検診と検診の間に大きくなる
逸見さんの場合は摘出そのものの意味が疑わしい。
最後の手術の会見を見ていると⋯
ガンに体が負けた状態・・あの時点で治ることないと⋯
もやもやしていたものが晴れた気がした。
手術1回目
・今の私の知識が当時の逸見に
「切れば大丈夫」にすがりついた
その病院はガン専門ではないので
私は不安。
「僕は先生を信用している。⋯」
年に一度特別な検査
内视镜
スキルス性で腹膜播種という最悪の事態。
本人も家族も知らなかった。
切る前に分かっていた?
切ってみたら進んでいた。
胃の3/4を切った。
かなり悪い、5年生存率は0に近い
本人には告げられなかった
切るべきか?は医者にゆおって半々に分かれる
検査をしなかったら1年ぐらいは仕事ができたのではないか?
二度目の手術に意味があったのか?
突起物をとってもがん細胞は残っているはず
手の付けられない状態であったのでは?
病院が告知していたら⋯
2,3の手術はしなかったかもしれない。
3kgの臓器をとる、死期を早める
9月16日の手術から1か月
腸閉塞を予防するため⋯
でも発症した。
12月25日永眠
1 情報収集が足りなかった
2 医師任せだった
3 セカンドオピニオンを取らなかった
4 がん治療の幅の広さを理解していなかった