2025年の12月上旬、徳島県鳴門市にある撫養(むや)城址を訪れました。
築城年代等は不明ですが、小笠原氏の築城との説もあるようです。
戦国時代には四宮氏の城だったようで、
天正10年(1582年)、土佐の長宗我部元親の阿波侵攻後は、
長宗我部元親の家臣・真下飛騨守が城を守っていたようです。
天正13年(1585年)、阿波に蜂須賀家政が入り、
その家臣・益田正忠が城主となりました。
江戸時代の一国一城令で廃城になる前は阿波・蜂須賀氏の阿波九城の一つに数えられていました。
撫養城のある妙見山(みょうけんやま)は比高60m程の城山で、
山頂には「トリーデなると」という模擬天守が建っており、
「トリーデなると」の展望階からは、
北東に鳴門海峡と淡路島、東に和歌山、
南に徳島市街、西に徳島平野を一望でき、
城のすぐ北を東西に通り、東の撫養港から池田を経由し、
西の伊予街道へ至る撫養街道を抑える城でした。
妙見山にある妙見神社の裏に石垣の遺構があるとのことでしたが、
神社側から見る石垣は廃城後の新しく築かれた石垣に見えました。
どうやら、神社の裏側のその裏にそれらしい石垣があるようです。
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