幼い頃、室崎みよと室崎ぬいは、まるで一つの影を分け合うように生きていた。雨に濡れた路地を並んで歩き、夕暮れには名もない空き地で風の匂いを嗅ぎながら、互いの未来を語り合った。みよにとってぬいは、自分の知らない世界を映す鏡であり、ぬいにとってみよは、帰るべき静かな灯火であった。
だが、そんな日々はある晩、唐突に終わりを告げる。
ぬいは何の前触れもなく、「私は駿河屋へ行く」と言った。その声は妙に澄みきっていて、もう誰にも揺るがせぬ決意を孕んでいた。みよは理解できなかった。なぜ今なのか。なぜ自分を置いていくのか。ただ胸の奥に、冬の水を流し込まれたような冷たさだけが広がった。
「行かないで」
そう言って伸ばした指は、ぬいの細い腕を確かに掴んでいた。幼い頃、転びそうになった時に何度も引き寄せた、その同じ腕だった。しかしぬいは振り返らない。ただ一瞬だけ伏せた睫毛の影を落とし、次の瞬間には強くその手を振り払った。
みよの掌には、何も残らなかった。
駿河屋でのぬいの日々は、決して華やかなものではなかった。値札を付けられ、叩き売られ、埃を被った棚の片隅で、人々の無遠慮な視線に晒され続けた。それでもぬいは沈まなかった。夜ごと誰もいない倉庫の隅で、「毛巾浴帽の舞」を繰り返し習い続けたのである。その舞は滑稽でありながら、どこか神事めいた気配を帯び、見る者の心を不可思議に掴んだ。
やがて、ぬいの名は静かに広がっていった。かつて安値で積まれていたその存在は、誰も容易には手を伸ばせぬほど価値を高騰させ、人々は熱に浮かされたようにぬいを求めた。
その姿を、みよは遠くから見ていた。
羨望ではなかった。憎しみでもない。ただ、自分だけが置き去りにされたような寂しさが、胸の底で鈍く疼いていた。みよもまた、気づかぬうちにぬいを追いかけていたのだ。同じ景色を見ようとし、同じ高みに辿り着こうとしていた。
だが、二人の間には、もう埋めようのない距離があった。
あの日、振り払われた掌の感触だけが、いつまでもみよの中で冷えたまま残り続けていた。