2026年の5月上旬、岐阜県大垣市にある曽根城址を訪れました。
室町時代末期に稲葉氏によって築城されたとされ、
稲葉良通(いなばよしみち)こと稲葉一鉄(いなばいってつ)の居城でした。
一鉄の後は子の稲葉貞通(いなばさだみち)が城主だったようです。
天正16年(1588年)、元は氏家直元(卜全)の家臣であった
西尾光教(にしおみつのり)が城主となりますが、
関ヶ原の合戦後に揖斐に移ったので、曽根城は廃城になったようです。
濃尾平野の北西に位置し、
揖斐川の西を流れる平野井川の流れが湾曲した部分に築城された平城で、
東側は平野井川が天然の堀となっていたようです。
城址のある大垣市は湧水が豊富な自噴帯であり、
曽根城の古地図でも、三重の水堀に守られた城だったようです。
本丸は華渓寺となっていますが、周囲より3m程高くなっているようで、
南面の内堀跡、華渓寺西面の塁壁、本丸北東の石列を埋め戻した遺構等を見ることができました。
また、華渓寺の「福水」は自噴水で飲むこともできます。
本丸の北に見える切所池(追堀)は、
古地図にありませんが、廃城後の平野井川の氾濫により堤防が決壊してできた池で、
かなり大きな池でした。
また、本丸の西側には「ハリヨの池」がありますが、こちらも古地図にはないので、
堤防の決壊でできた池なのかもしれないです。
二の丸北西跡にある菖蒲園は斎藤利三の屋敷跡と伝わるので、
稲葉一鉄・斎藤利三がいた城と思うと非常に感慨深いものがありました。
お城→
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