『アサシン クリード シャドウズ』の2人の主人公のうちの一人、弥助について書かれた史料を『信長記』研究の第一人者、東大史料編纂所の金子拓さんと読んでいきます。#後編<br><br>★この動画は行きがかり上「Ubisoft Japan提供」#PR という形でのお届けになります。本当に全っっ然ゲームの話してないけど、OKしてくれてありがとう〜□<br><br><br>▼冒頭の演出について(いいだ)<br>この動画の冒頭で引用しているのは、金子さんが著書『織田信長という歴史ーー『信長記』の彼方へ』でエピグラフにしていた文章です。<br><br>「エピグラフ」というのは著者がバシッと格好をつけるため、あるいは出だしでイイ感じの雰囲気を醸し出すために、本や章の最初にポンっと置く短い引用文のことですね。金子さんの本を読んでみて、それがあまりにカッコ良かったので、今回は動画でもそのまま同じ文で真似をさせて頂きました。<br><br>ところであの文章は一体どういう意味のものなのか?少し戸惑わせるようなところがあると思います。というか、いきなり言われても「何の話?」ってなるくらいにはややこしい文章ですよね。<br><br>なので「YouTubeの動画でやるには不向きか...」とも思ったのですが、それでもやっぱ格好いいし、この動画の最終パート「歴史って何ですか?」(←必見)の話と対応させてじっくり考えると、何かじんわり腑に落ちてくる感じになるだろうかと考えて入れておきました。<br><br>何回読み直してみても味が出るスルメ文章として、お楽しみいただければ幸いです。<br><br>出典は歴史関係の書籍とかではなく、堀江敏幸さんの小説『河岸忘日抄』。川岸に係留されていた小船になりゆきで棲むことになった男があれこれのらくら思索をし続ける物語ですね(説明雑すぎて申し訳ない、読売文学賞受賞作で引用箇所は新潮文庫版のp.200)。<br><br>そして朗読は「『血の轍』さんぽ」で怪演を披露してくださった大場みなみさん。めちゃ短いセリフですが、お久しぶりの登場ありがとうございます。......せっかくならオープニング後の注意文も読んで貰えばよかった!<br><br>《ちなみに》<br>堀江敏幸さんの本は小説・エッセイ・評論などどれを読んでも最高なんですが(書く文章すべてが美しすぎる)、せっかくだし一冊何か読んでみようかしら...という方へ、個人的には小説『雪沼とその周辺』をおすすめしちゃいます。<br><br>一つの街を舞台にした短編集なので入りやすいですし、最初の一編「スタンスドット」(川端康成文学賞受賞作)は、その日を最後に廃業すると決めた古いボウリング場の話でして、店主と最後の客、そのほかには誰もいない場内にピンの倒れる音だけが鳴り響く、その寂寞とした空気感がですね、なんとなく、ゲーマーの中にはぐっと来る人多いんじゃないかなと思ったりしてました。<br><br>あと全然関係ないけどアート好きには『仰向けの言葉』も推しちゃいます。<br><br>さて、ここまでしっかり読んできて下さっているかなりの少数派な皆さん。お気づきかと思いますが、私はもともと堀江さんの文章がかなり好きです。そして、前編動画の概要欄では金子さんの本2冊の紹介も長めに書かせて頂いておりますように、金子さんの文章も大好きです。<br><br>そういうわけで『織田信長という歴史』のエピグラフは、自分にとっては「推しが推しを推してる」みたいな構図。それはもうテンション爆あがりでしたよ。だから動画で真似した理由も、一言で言えばこれです。<br><br>テンションの爆あがり。<br><br>炎上に首を突っ込む趣味はないので、この2ヶ月間の感情の動きは要約すると「うーわまじか面倒だなぁ嫌だなぁていうかどこまで話が広がっちゃうんですかいやいやこれはさすがにさすがにそして七月いよいよ無理やろ無理無理死ぬって声明まだですかまじで笑ほんとキッツイてかあんた誰これ以上荒らさないでいやいやその肩書きはまじでたのむたのむよいやほんとうに誰これ以上争わないで後生ですからまじでなんだこれ最悪すぎるだろナウシカでも見て落ち着つくか(わざわざツタヤDISCAS入会してひといき)あの....すみませんもうやめてもいいカナ?( ^ω^ )」みたいな感じでした。どうしようもなくストレスフルな夏2024でした。<br><br>しかし!弥助のおかげで金子さんにお会いできたご縁は非常に喜ばしく、この動画は歴史を学ぶことの面白さも難しさも伝わるいい内容にできたなと、動画制作者としては手応えを感じたりもしています。だから結局何が言いたいかというと<br><br>シンプルに楽しんで貰えたら嬉しいです。<br>これ以上に言いたいことはありません。<br><br>*<br><br>【補足① 『信長記』の書かれた時期】 12:30<br>『信長記』は太田牛一が日記(日次記)をもとに後年まとめ直した文章であるとされ、金子さんは『織田信長という歴史』の中で『信長記』について「同時代の日記・文書のような一次史料とはいえないまでも、利用の仕方によっては一次史料に準じる信憑性をもつ」と書かれています。<br><br>『信長記』の史料的価値や成立過程の詳細については、ぜひ『織田信長という歴史』をご参照ください。<br><br>いいだの個人的な感想としては、老人になって目もよく見えなくなった牛一が『信長記』の執筆にかけた意気込み、熱いジャーナリスト魂(?)を表現した文章(池田家本の奥書)が面白かったので、金子さんの本からその部分の読み下し&現代語訳を引用させて頂きます。<br><br>「信長記はこういうノリで書かれたのか〜」<br>という感じが伝われば。<br><br><引用開始>『織田信長という歴史』p.17-18より<br>(読み下し文)<br>「一巻、太田和泉守牛一、生国尾張国、春日郡安食住人、頽齢すでに縮まって、渋眼を拭い、老眼の通路を尋ぬるといえども、愚案を顧みず、心緒浮かぶところ、禿筆を染めおわんぬ。予毎篇日記のついでに書き載するもの自然集となるなり。かつて私作私語にあらず。直に有ることを除かず、無きことを添えず。もし一点虚を書するときんば天道如何。見ん人はただ一笑をして実を見せしめたまえ。」<br><br>(現代語訳)<br>「この一巻は、生国尾張国、春日郡安食住人の太田和泉守牛一、高齢によりすでに衰えた目を拭い、老眼の目が見える時をうかがいながらも、愚見であること顧みず、心に浮かんだことについて書きつけたものである。私がその都度日記のついでに書き記していたものが自ずと集まった結果なのである。これらは決して創作ではない。直に見聞きしたできごとは除かず記し、なかったことをつけ加えたりしていない。もしわずかでも虚説を書こうものなら、天道の怒りを買うことになるであろう。読者は一笑しながら事実を見とおしてほしい。」<br><引用以上><br><br><br>【補足② 侍の定義について】30:50<br>侍という言葉の使われ方は時代によっても変わる。戦国時代にはなかなか幅広い範囲の人たちが侍に含まれていたとのことで、日本史の辞典としては最も項目数の多い『国史大辞典』(吉川弘文館)の「侍」項を金子さんが送ってくださったので、説明を一部引用しておきます。<br><br><引用開始><br>「もとは主君の側近に仕える近侍・近習を広く総称した。平安時代中期には、皇后宮・中宮には侍長・侍があり、また親王・摂関家・大臣家などの家人にも侍が見えており侍とは貴人の側近くに仕え、奉公するものをいった。<br><br>(中略)<br><br>鎌倉時代になると侍分・侍品という語もみえ、侍は凡下と対立する身分概念として用いられていることが明確になる。この侍とは、必ずしも六位以下の有官位者を指すものに限定されず、その官位を受ける資格のあるもの、もしくはその一族という広い意味をもつ語となっている。こうして中世を通じて侍はかなり広い範囲のものを包括するに至った。」<br><引用以上><br><br>...まあ、結局詳しいことは色んな具体例を見ていかないとよくわからない感じですが「侍の定義を考えることはこの動画の目的じゃない」ので興味のある方はいろいろ調べてみてください。<br><br>